2004年07月20日

レッテル貼り

大勲位までもらっている中曽根元首相の発言。ソースがこれだけしかないのでこの発言がどういう脈略で出てきたのか良くわからないが、『一緒に出演した民主党の岡田代表を評し「ガリ勉優等生。これからみんながついてくるかどうか、(党内をまとめる)結合力か課題だ」と語った。』と書かれている。

私が嫌いなのは、まずレッテルを貼ることである。日本人に特に多いように思うのだが。まあ、レッテルを貼ることの後はいじめと差別でしかないのであるが。

まあ、言い換えると「わぁ〜い、わぁ〜い、ガリ勉、わぁ〜い。おまえなんかに誰がついていくかよ〜。おまえなんかに学級委員長はできるかよ〜。」っと、大勲位様はおっしゃったわけだ。まあ、はっきり言うと小学生のイジメと同じレベルなのである。

まず、レッテルを貼ることでその対象の人物が蔑み、その「印象」をまわりの人々に植え付けて先入観を持つように仕向ける。それで、本来議題としなければならないことを述べる。そのようにすることで本来議論をすべき時にはもう先入観に支配された土台の上でしか議論がされない。(議論すらされなくなる。)まあ、物事を前向きに進めるつもりなんかは毛頭ないということになるのである。

こうやって日本は人々がものの本質に踏む込まないようになってきているのではないか。
「岡田幹事長にみんながついていくか?党内をまとめる力があるか?」という議論をすることに「岡田幹事長はガリ勉優等生であるか否か」という話は全く関係ないのではないか。
大勲位様が今まで岡田幹事長を見てきて、「人がついて来ない、結合力がない。」と思っていらっしゃるなら具体的にどういう点なのかを述べて、指摘すればいいだけなのでは。簡単なことじゃん。わざわざレッテルなんか貼らなくても。しかも優等生なら人はついて行かないのか?それこそ人それぞれ、いろんな要素で決まるんじゃないのか。
まあ、そういう話ならばわざわざ記事にならないのだけど。

レッテル貼りをすることが高所から物事を見るということなのか?

今まで私たちは「ガリ勉」とか「優等生」とかという言葉を使って出る杭を散々打ってきたのではないであろうか。
人それぞれ違うんだから優等生もいれば劣等生もいるだろうし、勉強好きもいれば、勉強したい人も、いやな人もいて当然では。他人と自分が違うことは普通なんだが。
そのとき、レッテルを貼ることで自分の優位性を示すことに優位性なんかあるのか?

ちなみに、私は最近ずっと思っているのは50代、特に60代以上の再教育である。
posted by 金銀堂 at 17:27| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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