2009年10月12日

スパイラルを断ち切れるか

事務所が移転して、電車が伸びたので日ごろ利用している線がある。平日少しラッシュからずれたりお昼前後になると途中の駅である高校 (A高校とでもしておく)の生徒と思しき高校生が電車を乗り降りする。彼らを見ていて、また、 そのA高校からもさほど遠くない仕事の親方の事務所のあたりの環境(人とかも含む)や、 最近A高校からもさほど遠くないところで起こった事件を見ていて読もうと思った本がある。子飼弾氏のブログ「404 Blog Not Foundで紹介されていたのだが読んでみた。

目次やざっとした内容は子飼氏が書いているので他に気になったことを書いてみる。 ページの多くは著者が実際に高校を中退した人たちへのインタビューに費やされているが、その隙間にも重要なことが書かれている。

本書の結論としては次の4点が挙げられている。

  1. 高校の義務教育化と無償化
  2. 高校教育の専門教育化
  3. 貧困層家族に対する経済的な支援
  4. 授業料減免制度の充実

この4点は非常に重要であると思うし、今の民主党政権はこれらを実施する方向に向かっている。 学校に登校することや在籍しつづけることは可能であろう。しかし、これで子飼氏は書いている「無学と貧困のスパイラル」を断ち切れるのか。 あと、一つ必要な対策がいるのではないか。以下引用である。

p140 母親は自分にしか興味が無い
(前略)
雅也のお迎えは祖父母の仕事となり、いつしか子育てはすべて押付けられていた。母親は子育てより二重まぶたの整形をするなど、 自分のことを優先するようになっていた。母親には彼氏がいつもいた。
(後略)

p140-141 漢字が書けない母親
(前略)
母親は子どもを家に置いたまま、男のところに出かけて帰らないことも多かった。新しい男ができると化粧が濃くなるため、 周囲の人たちは母親の化粧が濃くなると「新しい男ができた」と噂した。母親は漢字が読めず、ひらがなしか書けなかったから、 保育所からの手紙など理解できなかった。当然、遠足などの連絡も理解できないし、保育所の連絡ノートを書いてきたことも無かった。
(後略)

スパイラルはすでに始まっていて世代を跨いでいる。批判を浴びるかもしれないが、 社会が家庭へ介入することも必要なのではないであろうか。 本来であれば上のような例では社会が母親の手助けをして家庭を支援するというということになり、それに対する方策を進めるべきであろうが、 果たしてそれで間に合うのか?子どもは社会のものであると私は考えるが、社会を維持する為にこのスパイラルから切り離すべきではないのか。 保護であったり、里親であったり。

日本国憲法第26条2項には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。 義務教育は、これを無償とする。」と書かれている。そして、それを前提とする「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、 国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。(後略)」と日本国憲法第12条に書かれている。 自由と権利は教育を受けた上で私たちが努力をし、保持しなければならないのである。それが「出来ない」あるいは「知らない」 階層が増やしてはいけない。

 

posted by 金銀堂 at 13:14| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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